たのみら

アラフォー夫が、頭の上がらない妻と「楽しい・未来」へ向けて日々を記録・発信する雑記ブログです(^^♪

忘れてはいけない お弁当の記憶

い・し・い・のお弁当くん、ミ~トヴォ~ル♪

こんにちは、けんです。

 

お題についてお弁当の記憶を呼び覚ましたら色々切なくなってきましたので、今日はこれで終わりにします。ありがとうございました。

・・

・・・

おいっ!

 

お弁当は小学校低学年の運動会が最初だっただろうか、母に作ってもらった事を思い出す。

基本的に給食だったので、その後は遠足等のイベント時に2〜3回程作ってもらい、それ以降作ってもらう事はなくなった。

何故か?

 

~回想~

運動会、友達と集まってのご飯タイム。わいわいするなかでお弁当をリュックから取出すと一瞬時が止まる。周りを見渡すと、他のお友達と僕のとでは、お弁当の雰囲気が明らかに違う。友達はドラえもん等キャラクターものの弁当箱で、中身はミートボールやら何かを巻いているお肉、色とりどりの野菜でバランスがとても良さそうに見える。水筒の中身はポカリスエットの粉を溶かしたスポーツドリンクが当時の流行り。

一方僕は半透明なタッパーに白飯と、おかずは漬物と何かわからないべちゃっとしたもの(今思えば煮物だったかな)。水筒には家の蛇口をひねった水道水・・・。見ないで・・・、もう見ないで~!!

みんなと少し距離をとって食べるお弁当はなんだか悲しい。

そう、正直『恥ずかしい気持ち』でいっぱいでした。

いうなら、このお弁当で50m走なんて絶対勝てないやん!

と思って以降トラウマとなり買い弁することに。

お弁当持参のイベント等は全て母に『コンビニ弁当買って持っていくからお金ちょうだい』と言うようになりました。

そうです、僕はくそオブくそガキでした。(くそくそ失礼しました。)

 

当時を振り返ると母は離婚して間もなく、仕事は夜のスナックでバイトをしており、一人でけんを育てるのは必死だったはず。

僕はそんなことを気に掛けることもなく毎度駄々をこね、母に『弁当代をよこせ~ヒャッハー!』と。母はそれでもそんな僕を叱ることもせず、子供の為にと思ってくれたのでしょう、都度お弁当代を用意してくれました。

 

本当に酷い発言をしていた。もの凄く申し訳なかったと思う。

世が世紀末なら

『てめえらの血は・・・何色だーっ!!』

と言われ切り刻まれていただろう。

 

 

大人になって今更だが思う。

母が一生懸命作ってくれたお弁当は、けんを思うお弁当だったと。

『恥ずかしいことなんてこれっぽっちもなかった』と。

 

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もう母はいないけど、当時に戻れるなら

「ごめんなさい」と素直に謝りたい。

そして白飯たくさん食べて、心も体も鍛えて、50m走を1位でフィニッシュするよ。

 

人は人、自分は自分、親は大事に (^O^)/